人との距離は、近い

色とりどりのバッグを持つ人々が、南国の植物に囲まれた電車内で過ごす素朴な絵 へたくそライフ

今の時代、人と人との距離は、意外と近い。

「現代は個人の時代だ」とよく言われる。みんながバラバラになり、それぞれ自分の世界を生きている、と。

たしかに、電車に乗れば、ほとんどの人がスマホを見ている。隣に座っていても会話はない。肩が触れそうなほど近くにいるのに、お互いの名前すら知らない。

けれど、みんながバラバラだからこそ、かえって人との距離は近くなっているのかもしれない。

知らない人が気になる理由

リアルなコミュニケーションが少なくなると、近くにいる人のことが妙に気になる。

隣の人は、どんな人なのだろう。機嫌がいいのか、悪いのか。友好的なのか、攻撃的なのか。

何もわからないから、いろいろな可能性を考えてしまう。

一度話したことのある人なら、それほど不安にはならない。「この人は穏やかな人だ」「話してみたら親切だった」とわかっているからだ。

人は、相手が友好的だと確認できると安心する。

ところが街で出会う人の多くは、正体不明のままだ。スマホの向こうでは友人や知人とつながっているのに、すぐ隣にいる人がどんな人なのかはわからない。

この奇妙な状態が、現代の日常なのだと思う。

私たちは、それぞれの宇宙を持っている

電車の中を眺めていると、なんだか不思議な気持ちになる。

みんな同じ車両に乗っている。物理的な距離はとても近い。それなのに、一人ひとりがスマホを通して、まったく別の世界を見ている。

ある人は仕事の連絡をしているかもしれない。ある人は恋人からの返信を待っているかもしれない。動画を見て笑いをこらえている人もいれば、ニュースを読んで将来を心配している人もいる。

同じ空間にいながら、それぞれが小さな宇宙を生きている。

そう考えると、少しおもしろい。

知らない人は、不安の種にもなる。でも同時に、まだ何者とも決まっていない「可能性」でもある。

怖そうに見えた人が、席を譲るかもしれない。無愛想に見えた店員さんが、話してみたらとても優しいかもしれない。たまたま交わした一言から、思いがけず楽しい時間が始まるかもしれない。

観測するまで状態が決まらない量子力学のように——というと少し大げさだけれど——私たちの周りには、まだ確定していない小さな物語がたくさんある。

気にしすぎず、無理に気にしないこともせず

では、そんな時代をどう生きれば幸せなのだろう。

周りの人を気にしすぎると疲れてしまう。けれど「絶対に気にしないぞ」と力むのも、それはそれで疲れる。

だから、もう少し自然でいい。

気になったら、少しだけ見る。目が合ったら、軽く会釈する。話せそうなら、ひと言だけ話してみる。今日は自分の世界にいたいなら、静かにスマホを見る。

人との距離を、無理に縮める必要もない。遠ざける必要もない。その日の自分にとって心地よい距離を選べばいい。

周りには、よくわからない人がたくさんいる。何が起きるかも、完全にはわからない。

でも、その不確定さは、不安だけではない。世界がまだ決まりきっていないということでもある。

今日すれ違う人が、どんな人なのか。今日という一日が、どんな日になるのか。その答えは、まだ確定していない。

だからこそ、少し楽しみにしてみる。

人との距離が近くて、遠くて、つながっていて、バラバラな時代。

そんな矛盾した今を、無理に理解しきろうとせず、その不思議さごと楽しみながら生きていきたい。

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